[gutless]

自分が日の暮れた闇に紛れて行動しようと云うときは、大概世間様に負い目を感じているときだ。それはかなり大げさな物言いではあるのだけれど、今の荒垣に必要なのはそんな細かい表現に気を遣うことではなくて、そう感じること、そのものだった――
逆に言えば、自分は一体いつから陽の光の下を歩いてもいいようなニンゲンへと戻ったつもりだったのか?
自嘲すら相応しくもない、それは自分が一番解っていることだ。
僅かずつ秋の色が濃くなってきた季節は、それでもまだ日中の暑さをアスファルトが吸っているせいで、風がなければすぐに空気を淀ませる。じりじりとする感覚を払いのけ損ねながら、荒垣は耳に残る声を思い出す。
――アイツ今日はタルタロスに行くって、言ってたから。
オレも準備あるんで帰ります、と去り際に残していった主は、今日もまた終いにわらってみせた。
こんな情事にもならない暴力に近い行為の後でも何でもない振りであの塔を駆けようと言うのかと、身体を削るようなあの戦闘スタイルを思わず咎めてしまいそうになった自分の愚かさも思い出して道を行く脚が、止まる。
行く先ならぬ、帰る先である寮はもう近い。


「ふ、ぅ……っ、く、ん」
震える喘ぎは足元で紡がれていた。
「顔を上げろ、順平。それじゃ意味がねえだろうが」
苛々と口にした言葉にビクリと反応したそのうずくまる肩は冷静にならなくても可哀想にしか思えない姿だった、けれど救済する気はない――する訳にもいかなかった。
それでも言われたとおりに顔を上げた順平の表情は快楽に歪んでいる以外は全く心情を見せていなかった。あるとすれば、哀願に近い色はしていたけれど、荒垣はその解釈を黙殺する。
目をやれば、その濡れた指が、止まっている。
「ちゃんとイクまで、っつったよな?」
ベッドに腰掛けて見下ろしたきり動こうとしない荒垣のその足元で、順平は崩れるように床に座り込んで両手を晒した自身に這わせている、荒垣の促した言葉に合わせて、反論もせぬままに再び茎を握りこむとゆるゆると扱き出した。既に先端から溢れた先走りで随分と卑猥な情景に時折粘度のある音が立つ、煽られたところでここで手を出す訳にもいかなかった。
これは、意味もない、ただのゲームであるべきところだから。
「……っ、は、っ……あ」
時折耐え切れないように鳴くその声を無視することに努めながら、荒垣は痴態を眺めやる。ボトムだけ脱がせていて晒されている脚は大きく開かせてある、閉じかけては膝やら腿の付け根やらを蹴りとばして開かせていたから日に焼けない部分の白い肌色に多少の痣が赤く青く付いてしまって痛々しい。
部屋の暑さに汗ばむシャツは張り付いて小さく勃った乳首を浮き上がらせていたが、順平自身ではその箇所には気付いていないだろう、自慰として触れる所作は見せていなかった。
きつく摘み上げてやりたいところだ本音を言えば。
羞恥に瞑られた目尻に滲む涙や赤く上気した頬で順平は行為を続けていく、肩をまた震わせて屈みかけるところを足で押すように固定する。あまり押しては向こうへ突き倒すだけだと余計なところで気を遣う自分が荒垣は可笑しかった。
「や、ああ、っ、あっ!!」
堪えきれない様に半ば悲鳴に近い声を上げて背筋を反らせ、瞬間順平は果てる。両手で受け止め損ねた飛沫が着たままのシャツの裾に、床に、内股に散った。弛緩しかけた上体の重みが荒垣の足にかかる、足をどかしてやると、そのまま前へと倒れこんで荒垣のその脚へと縋りつくように額を乗せた。
「……っ」
荒垣は咄嗟に蹴倒そうと思ったが、身体は動かせなかった。
自身の精にまみれた指を所在無さ気に床へ落としたままの順平は荒い呼吸で寄りかかってしまった顔をおそるおそると云う様に離して荒垣をチラリと見上げる。
確かにそんなおどおどとした姿は気に入らない。睨みつけたまま荒垣が動かずにいると、
「あらがき、さん、……」
つぎは? とその震えた唇が動いた。やってることと瞳の色と台詞がまた乖離している。思わず言葉を失った。
そうしているうちに焦れた様なのは順平の方だった、白濁の垂れ纏わるもそのままに指を持ち上げたと思うと、迷いも見せずに荒垣の下腹部へ触れる。顔を寄せて、ボトム越しに緩くかじる様にして昂ぶりを主張しているその形を歯で辿り始めた。
「少しは、だって、……その気になってくれてんじゃん……?」
どこに掛けて「だって」と言うのか呟く唇の動きはもどかしい。


「別にカノジョいる風でもないし、こないだオレにしたことがあるからじゃあ、って思ったけど例えば真田サンだって”違う”んだろ? じゃあオレでいいじゃん、って」
どう巡ったらしまいにお前で良い、と云う結論になるんだか、追求してやるのもすっかり面倒になっている。
「荒垣サン、ねぇ、」
順平の台詞が途切れる、近寄ってきた頬を張り飛ばしたからだ。
そもそも彼が部屋に勝手に入ってきたところから既にどうかしているし、半ばそうするだろう事も見越していて部屋の鍵を主義だとして開けたままにしていたのも自分だ、それは間違いない。
自分は学校に行っていない。
順平は、学校から病院へ行って、それから帰ってくる。
それでも部活などがある他の寮生の方が帰ってくる時間は遅い。
ほんの1時間、あるかないかのその、順平と荒垣のみが寮にいる時間と云う隙間がこれだ。……付いて来い、と引っ立てて、件の部屋へ行くことが出来てしまう隙間。
――ここのことをアキにばらしておけば、
ヤツが歯止めの役にはなったかもしれない、と思う。
ストイックすぎて女相手にだって情欲を抱いたこともなさそうな見事に清廉潔白なきょうだい。
うかうか踏み込ませて自分を殴らせようとでも考えてみたところで、幾らなんでもこんな状況を変える役目を他人に丸投げするのは……けれどきょうだい、責任転嫁を覚悟で言えば、お前が俺を寮へ戻さなければこんな事態はなかったんだ。
順平は自分でいいじゃないかと、俺には何か代わりでもいるかのように言ったけれど、それは間違いだ、俺はお前じゃなきゃあんな脅しまがいにだって抱きやしなかったんだから。
”俺がお前をどうとも思っていない”だなんて、お前にも俺にも思い込ませられるだけの芝居はほんとうに巧く作用して、引き際のないまま連鎖している。
そうして荒垣は寮を出てここ二年の間で実家に帰れもせずに使用していたワンルームをまた開ける。
彼を初めて組み伏せたあの日以来に。

「じゃあオナってでもみせるか? 俺をその気にできたらまたヤってやるよ、順平」
先程殴った口の端が赤い、顎を掴んで引き上げられた順平の表情が歪む、目を僅か見開いて拒否ではない戸惑いを映す。
軽蔑したいのはそんなことも言いなりになってみせる相手ではない、哂ってそう言える自分をだ。
近い唇へ触れたい、それは自分が許せない。
見合ったまま離せない、電気を点けることもない薄暗い部屋の中で、かちゃりと卑しくベルトが外される音がした。


「ザーメンまみれの手で触んじゃねえよ、……レザーなんだぞ」
コートを脱いでベッドの上へ投げた、次いで股間に寄り添う頭を掴んで引き剥がす、そのまま床へうつ伏せに押し倒した。
肩か額か、打ち付けた音と痛みにくぐもった声が耳に響くのを構わないようにして順平の腰を引き上げて四つん這いにさせる。
思わずといったように逃げる露わな尻を指を食い込ませる勢いで掴んで、もう片手でどこまでもわざとらしく音が立つ様にして叩いてやれば、背筋を丸めて辱めに耐える様はそそって余りある姿だった。じわりと罪悪感を押しのけて欲が這い出てくる。
順平の腹と茎に手をやって、残っていた精液をすくい取ると、荒垣は晒し上げたアナルへ塗り込める。ひくつくそこは指先を僅かに突き入れるときつく締まって大きく腰が跳ねた。
「ひ、ああっ、あらが、きさ、っ……!」
嬌声を上げても逃げ出す素振りが特にないから何か痛めつける必要もなく、荒垣はことを淡々と進めていく。空いた手で一度達した後の割にはもう勃ち上がり始めている茎の裏筋を辿って亀頭を撫で上げる、力が抜けたところで挿入していた指を強引に埋め込んであとはほぐすようにかき回した。
「やっそん、な、急、やめ……っ、あっ」
「うるせえよ、こんだけしっかりおっ立てて何言ってやがる」
だって、と追いすがるような順平の声は零れるカウパーで余計に滑りが良くなった茎を擦り上げる動きに喘ぎに埋もれて、力の抜けかける脚は崩れそうになるのを必死で留めるように後孔の奥で前立腺を掠めるたびに大きく震えた。
指を抜いて、そこへ舌を押し当てるとそれだけで反応してまた握りこんでいる先端から雫があふれて荒垣の指の合間を伝っていく、唾液を塗り付けるように入り口だけをゆるくなぞれば焦らされていると感じるのか誘うようにひくりと蠢いた。
あらがきさん、と小さく呼ばれる、返事の代わりに舌を差し込んでやる、僅かに動かしただけで鳴く声がいとおしい。
――クソ、
不意に割り込んだ正直な感情を腹立たしさで塗り替える、苛立ちの矛先は本当は自分なのだ、けれどそんな理解は今は意味がない。挿れやすくしているだけだ、荒垣は自分に言い聞かせる面持ちで顔を離して自身のボトムを下げる。低体温気味の病的な自分の皮膚でも今や暑さに汗ばんで脱ぎにくい、部屋が暑いだけなのか行為に興奮しているだけなのか判り難い、そもそも面倒でなければ上も脱ぐべきだと云うのはあるだろうが、などと余計なことを考えつつも、嘘をつかずに反り立っている自身のペニスへゴムを被せていく。
不意に手を離されていることに所在無さ気に振り返りかけた順平の瞳と視線がかち合った。怯みと期待が混ざった表情で目が泳いでその頭はシャツを羽織ったままの肩の向こうへ逃げる、追う様に背へ覆い被さって、荒垣は合図はなしに自身の先端を押し当て侵入した。
「んんんっ! っ、うあ、っ、んっ!!」
きつく締め付けるのを、胸元に這わせた指で探り当てた乳首を引っかいて気を逸らさせる、相乗の反応でか感じたように、荒垣の身体の下で順平の背が跳ねた。
「ひ、ぅ……や、やだっ、」
かぶりを振る仕草に構わず耳朶を噛み押さえ込む、じわじわとやってくる征服感がたまらない、根元まで埋めるまでもなく軽く抜きかけては強く突き入れて、強張る肩を床へ押し付けた。
「何が嫌だって? 言う割に感じてんだろうが、なぁ?」
きついだけだった後孔も次第にひくついて誘うような動きになりつつあった、腰が悦の点を探すように揺れる。囁かれた言葉に抵抗するようにわななく首筋を伝う汗の粒を舐め取ってやると甘く息を吐いた、普段の姿からは想像もつかないくらいのすっかり別物の様な蜜掛けの声音で身体の下の順平が喘ぎ混じりに乞う、
「……か、ないで、」
慣らされてきたアナルにはもうペニスが根元まで埋まる、その状態で動きを止めて、荒垣は順平に言葉を促した。
「聞こえねえ」
はっはっと犬の様な荒い呼吸の中で、順平が叫ぶようにもう一度同じ言葉を、発する。
「抜かないで、……っ、イかせて、っ」
本来の意図で言えば順平をねだる立場に立たせるつもりはないところだったが、荒垣のほうこそ限界が近い、何か嘲笑う様に口元が歪んだ、その自分の頬を汗が伝うのも感じる。
返答なしで腰骨の辺りを両手で掴んで揺らしてやりながら気遣わぬ様に荒くさらにと貫いた、歓喜ととれる位の悲鳴で順平が喘ぐ、内壁を擦るたびに締め付けるきつさに追い立てられて歯止めをなくす。視界の端に床の上で引き攣れる順平の指が映るままに片手を伸ばして指を絡めた、張り付く様な感触に先だって自分がさせた行為を思い出す、背徳感は快を引き出すスパイスでしかなかった。
――今更、遅い。
ぎり、と音がしそうなほどに強く順平の手を握る、一点を擦った瞬間に順平が背をしならせて達する、床に飛沫が散って一層の締まりに抜く間もなく中で荒垣も精を吐き出した。
「あ、……ふ、ぁ」
射精の合間にも後孔をひくつかせてはがくがくと震える順平の肩に、荒垣は無意識で唇を落とす。つ、と滑らせてうなじも辿り浮き出た骨を舌で舐めあげたところで我に返って身を離した。
「荒垣、サン……?」
余韻で蕩けた瞳のままの順平が肩越しに振り返る、その表情を見なかったことにして茎を引き抜いた荒垣はそのまま無造作に順平をその場へ転がした。そうでなくても力の抜けた順平の身体は伏してしばらくは動けそうもなく、おかげで着たままのシャツは散らせたばかりの精液に浸っている。ひどい、姿だ。
……何の意味も見出さないつもりで、淡々とそう思うに留める。
ゴムを外して苛々とゴミ箱へ投げた、いたたまれなさに気付かない振りをしている時点でそれは荒垣の負けなのだけれど、順平も特に何も言わないまま寝転がって息の整うのを待っている。
荒垣が自分だけ後処理をして、元の通り服を着込んだ頃に、順平も身を起こしてそのままボトムへ手を伸ばそうとする。ベッドの脇で脱ぎ捨てられたそれは少し遠くて仕方なさ気に腰を浮かせた順平を見やりながら、荒垣はとうとう押入れに入れっぱなしのボックスをかき混ぜてシャツを引っ張り出した。
制服のスラックスを腰骨の位置でベルトを通そうとしている後ろ姿に声を、かける。
「着替えてけ、……そんなんで外を歩かれても迷惑だ色々と」
振り返った順平は、いつもどおりに、わらった。
「そっすね、臭うし? ……ま、でも何とか持って帰るか」
おどけた声も、普段と変わらない。
何事もなかったようだ、と荒垣は思おうとして、顰める眉を隠せなかった。汗と白濁に汚れきったシャツを平然と脱ぎ、荒垣の差し出したTシャツに順平は袖を通していく。
「わ、そーでもナイかと思ったのに、サイズ違うんだ……」
ショック、とまた楽しそうに笑う順平の表情。
少し脇の緩いラグランの7分をしげしげと見つめていた順平は、一度ちらと荒垣へ視線を向けて、ありがとうございます、と笑顔を崩さないまま言うと、脱いだシャツとランニングをまとめて丸めた。
掛ける台詞が見つからなくなってしまう。
荒垣は立ち尽くして順平の一挙一足を追うのみだ、そうして、
「じゃあ、戻りましょっか」
玄関近くに落ちていたキャップを拾い上げた順平の台詞、


「アイツ今日はタルタロスに行くって、言ってたから」
オレも準備あるんで帰ります、に、戻る。
先に行け、と言ったかもしれない、言うより早く順平が革靴を突っかけてドアから出て行ったかもしれない。
荒垣は渋面で、寮の扉の前に立った。
――どうしたいんだ。
誰にともつかない問いだった、自分に対して、だとしても答えが出なくなってきた。扉を開ける、気分と対照的な温かいラウンジの灯りと雰囲気の、居心地の悪さといったらない。
見渡して順平と、もうひとりの姿が見えぬうちに、他の寮生へどう返事をしたかも曖昧なまま階上へと向かう。

あとは、深夜をやりすごすだけだった。